第二十八回コラム「インド仏教の歴史 part5」

密教の興隆

 

 八世紀中葉、北インドにおいてはガンジス河中流域をプラティハーラ朝、ベンガル地方をパーラ朝、デカン高原地方をラーシュトラクータ朝が支配していました。パーラ朝の歴代の王は文芸を愛し、仏教を保護していました。そのため当時の北ベンガルには多数の僧院(ビハーラ)が建立され、現在のビハール州の名の由来となっています。

 ガンジス河のガートでは仏教の集会にヒンドゥー教の信者も礼拝に訪れていました。なぜ礼拝にきていたかというと仏陀はヒンドゥー教のビシュヌ神の化身と言われていたからです。

 仏教とヒンドゥー教が兄弟ともいえるインドの民衆宗教では、ヒンドゥー教の三大神の一神であるビシュヌ神は世界の危機に際し、様々な動物や英雄の化身となって世界の窮状を救ったその化身の一つが仏陀であると考えられていたからです。では三大神とは何かと言うと、創造神のブラフマー、維持神のビシュヌ、破壊神のシバ、これら三大神は姿なき神であり宇宙神が地上に顕現された人格神と言われていました。仏教においても姿なき仏がおられ、「宇宙の中心にましますほとけであり、あるいは宇宙に遍在するほとけである。いわば姿なきほとけである。」と言われていました。これがいわゆる宇宙仏で、宇宙仏が地上に顕現されたものです。宇宙仏は「毘盧遮那仏」と呼ばれ、姿形を持たない仏で宇宙の中心にあってじっと沈黙しておられます。毘盧遮那仏の教えを学ぶために代弁者となったのが釈迦仏であり、釈迦仏がわれわれの世界にやって来て毘盧遮那仏の高遠な真理を説いていました。

 毘盧遮那仏は大日如来とも呼ばれ、雄弁の仏であるので自身で説法をしていましたが、凡夫にとっては外国語のようなもので理解するのがとても難しく、大日如来がいくら雄弁に説法されていても聞くほうがその言葉を理解できなければ秘密となってしまいます。大日如来の仏教は秘密仏教と言われ、それを略して「密教」と呼ばれました。こうして密教はヒンドゥー教の宇宙神に相当する大日如来の教えとして、仏教徒とヒンドゥー教徒にかかわらずインドの民衆の信仰を集めていったのです。

 

密教の三大寺院

 

 密教学がさかんになったのはバーラ朝の時代で、八世紀半ばのゴーパーラがベンガル、ビハール地方を統治したのがパーラ朝の始まりです。ゴーパーラ王は仏教を保護し、数多くの数多くの僧院を建立したほか、密教学の三大寺院の一つであるオーダンタプリー寺をマガタに建立しました。

 そしてゴーパーラ王の子であるダルマパーラ王の時代にはガンジス河のほとりの小高い丘の上にビクラマシラー寺を建立しました。伝えられたところによるとビクラマシラー寺は寺院の広さと居住した僧尼の数においてインド仏教史上最大規模で、中心に大きな仏殿があり、周囲に五十三の密教系の寺院と五十四の一般に寺院があり合わせて百八の寺院が存在したと言われています。

 そして残る一つにはナーランダー寺で、この寺院は五世紀にクマーラグプタ一世によって建立され、パーラ王朝の手厚い保護のもとにありました。

 七世紀中葉において、これら三代寺院を中心としてインド仏教は急速に密教色を強めていきました。

 

インド仏教の終焉

 

 十三世紀初頭にインドに侵入してきたイスラム勢力が各地で侵略と略奪を始め、偶像崇拝するヒンドゥー教や仏教などの異教の寺院を破壊するに至りました。なぜこうなってしまったかというと、万を超える仏教の僧たちは民衆を離れ寺院に住み学問を学んでいました。

こうした状況はイスラム軍にとっては格好の攻撃目標となり、仏教寺院は次々と破壊されていきました。そして1203年に最後の寺院であるビクラマシラー寺が滅ぼされ、こうして寺院や学問仏教は消滅の時を迎えたのです。

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