第三十三回コラム「仏教語について Part3」

 ありがとう

 「ありがとう」は普段何気なく使っている言葉で、相手に対して感謝の意を示すお礼の言葉です。この「ありがとう」の語源は「有難し」という仏教語から由来しています。お釈迦様の説かれた『盲亀浮木の譬(もうきふぼくのたとえ)』にその語源があります。

 ある時、お釈迦様が、阿難(あなん)という弟子に、

「そなたは人間に生まれたことをどのように思っているか」と尋ねました。 

「大変、喜んでおります」と阿難が答えると、お釈迦様は、次のような話をしている。

 「果てしなく広がる海の底に、目の見えない亀がいる。
 その盲亀が、百年に一度、海面に顔を出すのだ。
 広い海には、一本の丸太ん棒が浮いている。
 丸太ん棒の真ん中には小さな穴がある。
 その丸太ん棒は、風のまにまに、西へ東へ、南へ北へと漂っているのだ。

 阿難よ。百年に一度、浮かび上がるこの亀が、浮かび上がった拍子に、丸太ん棒の穴に、ひょいと頭を入れることがあると思うか」

 阿難は驚いて、

 「お釈迦様、そんなことは、とても考えられません。」

絶対にないと言い切れるか」

「何億年掛ける何億年、何兆年掛ける何兆年の間には、ひょっと頭を入れることがあるかもしれませんが、無いと言ってもよいくらい難しいことです」

「ところが阿難よ、私たちが人間に生まれることは、この亀が、丸太ん棒の穴に首を入れることが有るよりも、難しいことなんだ。有り難いことなんだよ」

 つまり人間に生まれてくることがどれだけ難しく大変なことなのかをお釈迦様は説いており、そのことに感謝しなければならないと教えています。

 安心(あんしん)

 「安心」は、仏教語では「あんじん」と読みます。現在普通に使われている「あんしん」という言葉を、「あんじん」と読む場合、意味合いが異なっています。

 仏教では「正しく教え導き、信心による安心を与える」といわれており、つまり仏法の功徳によって精神的な安定のことを「あんじん」いいます。

 生きる支えとなる本当の「安心(あんじん)」を得るために、仏道者は修行を重ねてきたのです。

 

 相続(そうぞく)

 人が亡くなった際に、残された遺族間で行われる相続問題は年々増えてきています。相続は現代でも大きな関心を集める言葉ですが、じつはこの相続も仏教語なのです。

 仏教では、「この世界のあらゆるものごとは,姿かたちを変え変転するが,決して絶えることは無く,永遠に連続する」という考え方をします。

 例えば、ローソクの火は、一瞬で燃え尽きては消滅し、その直後に別の火が燃えてを絶え間なく繰り返しています。燃えて消えてを連続するから一つの火として燃えているように見えているわけです。つまり引き続き起こること、受け継ぐことの意味となり、一般的にも使われる言葉になっていきました。

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