■寂而山 常照寺-日蓮宗

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寂而山 常照寺

住所:奈良県高市郡高取町清水谷1793

建立:和銅年中(708~715)

WEBサイト:https://temple.nichiren.or.jp/5081020-jyoushouji/

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    無縁塔と銀杏

 

【お寺からのご案内】

お寺基本情報

奈良時代の和銅年中(708~715)に奈良時代の名僧と名高い『行基』によって建立され、今の地より南に位置する寺ヶ谷という場所にあったと伝わります。
宝治2年(1248)に日蓮聖人が参詣せられた縁故により、元禄2年(1689)に日蓮宗に改宗された

(日蓮宗) 寂而山青蓮院常照寺というのが正式名称です。
当山は、奈良時代の和銅年中(708~715)に奈良時代の名僧と名高い『行基』によって建立され、今の地より南に位置する寺ヶ谷という場所にあったと伝わります。
宝治2年(1248)に日蓮聖人が参詣せられた縁故により、元禄2年(1689)に日蓮宗に改宗されたと高取町史にあります。
日蓮聖人(当時は未だ蓮長と名乗る)が南都遊学の次に仏法を探求に向かった先が高野山でした。奈良平城の地より斑鳩法隆寺に学ばれ、次に数人の修行僧と共に高野山に向かわれました。当地は、その高野への参拝路の途中にあり、大和平野を南下して行くと当地は吉野山地への入り口に当たります。ここまで馬ですと半日程度で到着するのですが、人の足ですと聖人が高野に向かわれた十一月頃ですと丁度夕暮れ間近に当地へ辿り着くはずです。
当時この地には真言宗の冷水寺という塔頭を持った寺院がありました。当山もその冷水寺の塔頭で正蓮院と名乗っていました。当時、旅の僧は寺に一夜の宿を求めたと考えられます。そして、日蓮聖人たちは、正蓮院に宿を求めました。一夜をここで明かし高野山へ向かいます。高野山で真言宗を学んだ日蓮聖人。その後、和歌山葛城を越えて大阪平野河内の国を経て故郷安房に戻られます。清澄で声高らかにお題目を唱え、立教開宗。当時の政治の中心都市鎌倉で日蓮聖人は法華お題目の布教を重ね、その名は全国に行き渡ります。当然南都、高野にもあの時の旅の僧侶が日蓮聖人だったのだという事が伝わったに違いありません。その言い伝えは当地にも長きにわたって伝わって来ました。
時は移り、江戸時代。次々と日蓮宗の寺院が建立される中で、他宗よりの改宗寺院であることは現在の日蓮宗、法華宗を通じてこの南大和には当山以外には無く、日蓮聖人が当地にお立ち寄りになられた寺と有力視されています。
当山は、その後高取藩より二人扶持という。禄を賜り繁栄しました。実に奈良県内の日蓮宗の寺院の中でもその所有している土地の面積は広大有数と言われていました。武家の外護によって繁栄していた江戸時代。しかし。農地解放等の政策により打撃を被り、明治以後次第に衰えて行きました。檀家の大半である武家は職を求め去ってゆきました。現在は、30軒足らずの檀家。
しかし、この混迷の時代、新たにお題目の法鼓が響き渡るよう江戸時代さながらに繁栄させるべく復興の狼煙を上げる恰好の材料として、『日蓮聖人逗留の寺』という由緒を発信していきたいと思います

寺院名 寂而山 常照寺
じゃくにざん  じょうしょうじ
山号 寂而山
宗派 日蓮宗
建立 和銅年中(708~715)
住所 奈良県高市郡高取町清水谷1793
TEL 0744523404
WEBサイト https://temple.nichiren.or.jp/5081020-jyoushouji/
アクセス 近鉄吉野線『壷阪山』駅より南に約2㎞。奈良交通バス『清水谷』バス停より南西に徒歩3分。

 

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