「大丈夫」の語源知ってる?日本語教師が教える!実は仏教が由来の日常語4選
日本人が1日5回ぐらいは使っていそうな万能ワード「大丈夫」。
外国人でも最初に覚える日本語が「大丈夫」だったという人が多く、日本人には欠かせない日常語です。
でも、そんな「大丈夫」の語源って知っていますか?実は「大丈夫」は元々仏教用語が由来なのです。
今回は「大丈夫」を代表とする、仏教が語源の日本語を4つご紹介します。
仏教が語源の言葉1:「大丈夫」
そもそもみんなが使う「大丈夫」の意味ってなんでしょう?「大丈夫」とは「間違いや問題がない」という意味で使われています。
実は、この語源は仏教用語。そもそもは、古代サンスクリット語に由来します。サンスクリット語とは、インドに来たアーリア人が話していた古典語ですが、そのサンスクリット語の「マハー(偉大)・プルシャ(人、男性)」という言葉に由来しているのが「大丈夫」だそう。「大丈夫」の「丈夫」は健康な男性を表しています。(「大丈夫」以外にも「容姿の美しい男性」という意味で「美丈夫」などの言葉としても使われ、日本酒の銘柄名にもなっていたりします)その「丈夫」に「偉大」という賛美の意味の「大」をつけたのが「大丈夫」です。これが仏教用語では菩薩を表していました。
転じて、現在は「間違いない、問題ない、しっかりしている」という意味で使われるようになっています。
仏教が語源の言葉2:「億劫(おっくう)」
「面倒くさいな」「やる気出ないな」というときに使う「おっくう」という言葉。漢字で書くと「億劫」ですが、「面倒くさい」という意味とはちょっとリンクしない漢字が使われていますよね。
実は「億劫」も仏教用語が由来。元々は「おくこう」「おっこう」と読まれました。「劫」というのは仏教では時間を表す単位で、諸説ありますが「羽衣でなでた岩が擦れて粉々になるまでの時間」を表していると言われます。つまりそれ自体が果てしない「劫」にさらに「億」が乗じていて、あまりにも長い時間という意味合いとなります。「長すぎて耐えられない」という意味が転じて「煩わしい」という現在の意味となっています。
仏教が語源の言葉3:「退屈」
「暇でつまらない」という意味で使われる「退屈」も仏教が由来の言葉。「退屈」は本来「仏道の修行が苦しく困難で、それに屈してしまい、仏道を求める求道心が失われてしまうこと」を意味していました。修行を放棄してしまったことで、時間や暇を持て余す結果になってしまうことが転じて、現在の「退屈」という意味になっています。「退屈だなあ」と言いながら、努力を忘れて限られた時間を無駄にしてはいけませんね…。
仏教が語源の言葉4:「がらんとした/がらんどう」
4つ目は番外編。「広い部屋や空間に何もなく静かな様子」を表した「がらんとした部屋」や「がらんどう」という言葉。こちらは一般的にオノマトペ(擬態語)だと思われがちな言葉なのですが、実はこれも仏教用語が語源。
「がらん」とは「伽藍」と表記し、寺院のお堂を表します。こちらも古代サンスクリット語に由来し「サンガーラーマ」という言葉に「僧伽藍摩」と漢字をあてているそう。これが「仏教の修行をする閑静で清浄な場所」を表していることから転じて、「がらんとした」という現在の使われ方となっています。「がらんどう」も「伽藍堂」ということ。「がらん」という語感が「閑静」のイメージと上手くはまっていますが、擬態語ではなかったのです。
なんだかんだ、日本語って仏教が根差している!
日本は「八百万の神」の感覚が生活に密着しているため、冠婚葬祭の便宜上以外は無宗教・無信仰と言われがちですが、実は毎日使う言葉の中には仏教が根差しているようです。