懐石(かいせき)
和食の代表的なものに懐石料理があります。そもそも懐石料理の意味は、茶道において茶を美味しく味わうために、茶をいただく前に出される軽食のことをいいました。実はこの「懐石」という言葉は、仏教に由来しています。
インドの仏教徒は、食事を1日に2回しか摂りませんでした。午前中に托鉢に行き、そこで施された供物を皆で分配し、昼食としていただいたらもう1日の食事は終わりになるのです。しかし、仏教がインドから中国へ伝えられると、この食生活では問題が生じました。インドよりも寒い中国では、摂取エネルギーが少ないと寒さが厳しく、特に冬場の寒さは猛烈で、厳しい修行を続けていた修行僧たちは空腹と寒さに相当苦しんでいたといいます。
そこで、この状況をどうにか改善しようと考えられた末に生まれたのが、「薬石」というものでした。薬石とは空腹をしのぐために温めた石を腹に当て、空腹をしのいだことから出た言葉です。温かい石で夜の寒さに耐え眠りに就き、また空腹を紛らわすという応急処置が行われるようになったというわけです。
お陰様(おかげさま)
「おかげさまで試験に合格出来ました」など、「お陰様で」は感謝の気持ちを表す言葉です。しかし反対に「あいつのおかげで酷い目に合った。」など、マイナスの意味でも使われる事もあります。「お陰」は、仏様の助けやご加護のことで、そこから仏様や他人様のお陰で生かされていることを自覚し、感謝するという意味からきています。
王舎城に住んでいたシンガーラカに、お釈迦様がお説法をしたことから、この「おかげさま」と言う言葉は出ているそうです。
シンガーラカは 亡くなった父の遺言で、毎朝 東西南北の六方に礼拝をしていましたが、父の遺言でしていただけで、内容も判っていなかったそうです。
その時に、お釈迦様が彼に対して
「拝むということは どう言うことか?東方を拝むときは、<私>を産み・育ててくださった お父さんお母さんに感謝をし、
南を拝むときは、<私>を導いてくださった 先生に感謝をして、西を拝むときは、妻や子どもに感謝をして、北を拝むときは、友人に感謝をして、上方には沙門に感謝し、下方には 目下のもののご苦労に感謝せよ。これを、六方礼拝する合掌の意味である。」と、お説法されました。
この説法は <シンガーラカへの教え>として、『六方礼拝経』として漢訳されていますが、普段の生活の中でも出来る 倫理道徳を説いた重要な教えでした。
私たちは、様々な人々と相互に関係しあい、多くのものの力、お陰、恵みを受けて生きています。自分ひとりでは、生きていくことはできません。お陰様の気持ちを忘れずに日々の生活を心掛けたいものです。
呵責(かしゃく)
呵責とは、厳しく責めさいなむことで「良心の呵責にたえかねて」などという言い回しが使われています。
この呵責は仏教用語で、仏教教団の戒律を定めた『四分律』には「呵責犍度」という一説があります。そこには、闘争を好み、互いに罵倒し合い、刀剣で争う二人の比丘に「呵責」という罰が与えられたことを記録していて、その後に教団において罪を犯した者は、人々の面前で、呵り責められ、種々の権利を奪う罰が与えられるようになったそうです。これが「呵責」です。お釈迦さまは、怒ることをあまり好まない人でしたが、叱るべき時はしっかりと叱っていたようです。
その意味では、現在使われている呵責の意味と同じだったと言えます。