[第五回]釈→小出さん「豊かなグラデーションをもつお寺」〜仏教井戸端トーク〜

 

  釈徹宗(しゃく・てっしゅう)

 

前回までの書簡はこちらを御覧ください。

この往復書簡も、年を越しましたね。今年もよろしくお願いします。

小出さんの意見は、これからのお寺の運営を考える場合、耳を傾けねばならないポイントです。なにしろ、「宗派」を持ち出すと、アレルギー反応を起こす人って多いんですよ。私の友人の仏教好きの多くもそうなんです。「仏教の教えはすごく好きだし、いいと思うけど、宗派とか厭なんだ。だから日本仏教は今いちなんだ」とか言います。宗派って排他的だし、ヒエラルキーがありますもんね。宗派の具合悪いところは、私もよく知っています。だから、すでにお話した通り、現代において寺院運営という姿勢が発達すればするほど、宗派仏教の性格が解体されていくわけです。現代人の「宗教の道具化」「宗教の私事化」へのリクエストに応答すれば、宗派の意味はさらに薄まっていくことでしょう。

■さまざまな要素の総体としてのお寺

ただ、私は「つきつめれば、みんな同じ大元へと至るためのもの」という考え方には警戒心をもっています。ずいぶん包括主義(inclusivism)や多元主義(pluralism)の具合悪さを見てきたからでして。小出さんが言うように、どうしても教え(教義・ロゴス)の部分に焦点を当てた立場になるからです。まさに、「いろいろシンプルになる」ことに懐疑的なんです(これは「宗教って何?」といった問いでも同様の事態となります)。

 

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