[第二回] 小出→釈先生 「お寺は“ひとり”になれる場所」〜仏教井戸端トーク〜

 

  小出遥子(こいで・はるこ)

釈先生、こんにちは。ご無沙汰しております。今年の一月に国立文楽劇場でお会いして以来ですね。あれをきっかけに、すっかり文楽の世界に魅了されてしまいました。素敵なご縁をありがとうございました。

今回、往復書簡のお相手にお選びいただき、非常に光栄なことと感じ入っております。しかしながら、それ以上に、「私などに、この大役が務まるのだろうか……」と、内心、冷や汗が止まりません……というのが正直なところです。

両親ともに「無宗教」で、お坊さんと関わるのは数年に一度のお葬式やご法事のときぐらい、そもそもお仏壇すら置いていない、そんな家庭で生まれ育ったこの私が、また、その後の人生で仏教に興味を抱くようになり、お寺やお坊さんと親しくお付き合いさせていただき、いろいろなかたちでお仕事までご一緒させていただくようになったはいいけれど、いまのところ、自分自身がお坊さんになる気はないし、特定の宗派、特定の寺院に所属するつもりもまったくない、その意味で言えば「仏教徒」ですらないこの私が、果たして「テラ未来予想図」を描けるものか……。考えれば考えるほど頭の中が疑問符でいっぱいになり、呼吸が浅くなり、みぞおちの奥がキリキリしてきます……。

しかし、こういったことは、「考えて」どうにかなるようなものでもない気もするので、せめて、「仏教ファン」「お寺ファン」としての小出遥子が、お寺や仏教に対して、いま現在「感じて」いることを、できるだけありのまま、正直に書いてきたいと思います。お付き合いのほど、よろしくお願い申し上げます。

 

◆お寺って、そもそもなんのために存在するの?

前回、釈先生は、現代のお寺の実情について、具体的な数値とともに、非常に簡潔に、わかりやすくシェアしてくださいました。江戸時代から見て寺院の数は半減、人口比で考えれば8〜9割ものお寺が消滅したという事実を前に、現在、多くのお寺が「寺院運営」というアプローチを通して存続を図っているということ。それと同時に、いまあらためて、さまざまな角度から「お寺」という場所の存在意義が問い直されていること……。所どころ、深くうなずきながら拝読しました。

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