第四十回コラム「比叡山と高野山 part3」

高野の峰

 

 高野さんは紀伊の国(和歌山県)伊都郡の東南部、大和国(奈良県)に堺を接する壮大な山中に位置し、四面は1000メートルを越える山々に囲まれた盆地である。この高野の中心部である伽藍の地は、平均して標高800メートルほどの地点を占めている。その周囲は八葉の蓮華になぞらえられ内の八峰外の八峰と呼ばれる。それらの峰々にかこまれたこの地は、蓮華の中にある浄土と言われる。その中央にそびえるのが真言密教を象徴する大塔である。

 比叡山に比べるとはるか南方に位置するが、山の深さかなり深く寒さも特別厳しい。空海が入山したころは、山も現在のように整備されておらずその苦労は並大抵のものではなかったであろう。

 しかし現在では、高野山道路やケーブルなどで一気に登ることができる。

 

 金剛峰寺

 

・総本山金剛峰寺(重要文化財)

 金剛峰寺とはもと高野山全体をあらわす総称であったが、現在では高野山真言宗の総本山とされている。高野山経営の中心であり、ここの住職(座主)が高野山真言宗の管長となる。(山の重要な行事や儀式はここで行われる)金剛峰寺は、豊臣秀吉が母親の菩提のために寄進したとされている。

・台所(和歌山県重要文化財)

 多くの僧侶の食事をまかなっていたため、たいへん大きな釜が三つある。一度で約二千人分(二石)の御飯が作れることから、この釜は二石釜と呼ばれ、今では1228日の餅つきの時に使われている。

・柳の間(関白秀次自刃の間)

 襖には四季の柳が狩野深斉によってえがかれている。この座敷で1595年に秀吉の養子、豊臣秀次が自害したことから秀次自刃の間とも言われる。

・いろりの間

 高野独特のいろりがあり、土室とも呼ばれる。壁には空海自筆とも言われる愛染明王がまつってある。

・六時の鐘

 伽藍の東入口にある。福島正則が父母の追善のため建立した。

・大師教会本部

 全国の高野山金剛講を統括する総本部で高野山の宗教活動の中心である。

・教化研修道場

 弘法大師信仰の教化と研修の中心で諸設備も整っている。僧侶教師・信徒などの講習や、仏教文化活動の場として活用されている。

・伽藍(金堂)

 薬師堂などとも呼ばれてきたが、俗称の金堂が通り名となった。本尊は高村光雲作の薬師如来。空海が講堂として伽藍のうちで最も早く建てたもの。しかし七度も焼けて七度再建された建物。

・根本大塔

 多宝塔という型式で、古式のとおり高さ五十メートル(十六丈)の大塔である。本尊は胎蔵界の大日如来と金剛界の四仏(阿閦・宝生・阿弥陀・不空成就)である。また十六本の柱には十六大菩薩がえがかれ、曼荼羅世界をあらわしている。

・御社

 空海が地主神として勧請した。丹生都比売や狩場明神をまつる。

・山王院

 地主神の拝殿として、藤原時代(平安中後期)に建てられた。

・御影堂

 伝説の三鈷の松を前にして建つ宝形造りのお堂である。空海の住房跡に建てられたといわれ、空海の影像(御影)が安置されていることから御影堂と呼ばれる。また弘法大師入定の旧321日には御影を供養する正御影供が行われる。これは高野山で最も厳粛な法会である。

・西塔

 伽藍の西北にあり、真然が光孝天皇の勅により建立した多宝塔で、本尊の金剛界五仏が奉安されている東塔と対をなすものである。

・六角経蔵

 六角円堂づくり美福門院が鳥羽上皇の菩提を弔うためにつくった一切経(荒川経・美福門院経)を納めるために建てられたものである。ここには三千巻あまりの経典が重要文化財として保管されている。

・霊宝館

 本山や山内の各寺院に伝えられている国宝・重要文化財の仏像・仏画・経典などを保管し、展観するために1921年に建立された。宇治の平等院を模した美しい姿をしている。

・大門(重要文化財)

 高野山一山の総門であり正門である。両脇の金剛力士像は江戸時代の仏師、康意(阿形像)・運長(吽形像)による大作である。

 

 

                                                                   

 

 

 

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