第二十九回コラム「密教について Part1」

今回から、前回少し触れた密教について少し詳しくお話ししていきたいと思います。

多仏仏教

 密教はまず「ほとけ」になって生きる仏教のことを言います。「ほとけ」になるとはどうしたらできるのでしょうか。

仏教では人間の行為を「身(しん)・口(く)・意(い)」の三つに分類して、これを「身口意の三業」と呼んでいます。

業とは行為の意味で、⑴身体的行為(身業)、⑵言語的行為(口業)、⑶心的行為(意業)、この三業にわたって仏の真似をすることを言います。「ほとけ」のまねをするにしても行動や言葉を真似することができても、心を真似することは難しく、また「ほとけ」にもいろいろな「ほとけ」が存在してどの「ほとけ」を真似すればいいのかわからないと思います。まずは「ほとけ」を歴史的に考えていきます。

 最初の「ほとけ」は釈迦牟尼仏で、すなわちお釈迦様一人でした。お釈迦様は一人で修行をされて真理を悟られ、そして紀元前五、六世紀のお釈迦様もいた時代は一仏仏教であり、これを小乗仏教と言います。ところがお釈迦様の入滅ののちに六、七百年をかけて少しづつ仏教は変わっていき、その結果一仏仏教から多仏仏教に変化していきました。

 大乗仏教では諸仏は十方世界にましましと考えられていて、十方世界とは東西南北の四方に東南、南西、西北、北東を加え、それに上下を加えたものでした。四方八方と上下あらゆる方角に無数の「ほとけ」が存在するというもので、たとえば阿弥陀仏は西方におられ、そしてそこには「極楽世界」と呼ばれる浄土がある。薬師仏、すなわち薬師如来は東方におられ、そこは「浄瑠璃世界」がある。また毘盧遮那仏は太陽を象徴した「ほとけ」でその浄土を「蓮華蔵世界」と呼びます。奈良の東大寺の大仏様は毘盧遮那仏であり、そして大日如来もまた太陽を象徴とした「ほとけ」です。

 このように多くの仏様がいる多仏仏教が大乗仏教で、小乗から大乗へと仏教は発展していきました。密教はお釈迦様が亡くなってから数百年の後の大乗仏教の一つだから多仏仏教になり、だからこそ大乗仏教は四方八方に無数の仏が存在するというわけです。

 これだけ多くの「ほとけ」がおられるとなると付き合い方が難しくなっていきます。その付き合い方を教えてくれるのが密教なのです。

 

 沈黙と雄弁のほとけ

 毘盧遮那仏はご自分では一言も説法をされない沈黙の「ほとけ」で、ご自分では沈黙しておられますがその代わりに「説法をするほとけ」を派遣されます。まるで太陽があらゆる方向に光を投げかけるように、ご自分の毛穴から無数の「ほとけ」を放射し、宇宙の隅々まで送られていて、毘盧遮那仏の毛穴から放出された「ほとけ」こそ、ほかならぬ釈迦牟尼仏すなわちお釈迦様なのです。

 つまり化身仏としての釈迦牟尼仏がおられ、化身仏が毘盧遮那仏にかわって真理を説いてくださるのです。お釈迦様が誰もがわかる人間の言葉で優しく教えを説いていることを顕教といい、すなわち顕教の「ほとけ」はもとをただせば毘盧遮那仏になるというわけです。

 次にもう一つの「ほとけ」である大日如来。この「ほとけ」は「雄弁のほとけ」で、大日如来は絶えることなく真理を語っておられ、大日如来は人間が話している言葉ではなくシンボルを多用して法を説いておられます。シンボルとは暗号みたいなもので、凡夫には理解しにくいので、わかるには特殊技術が必要になります。よって大日如来の教えは秘密仏教なのです。

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