第二十五回コラム「インド仏教の歴史 part2」

涅槃

 

前回に引き続きインド仏教の歴史について見ていきたいと思います。

  マガダ国からコーサラ国へお釈迦様は法輪を転じ行き、さらに北はクル国から南はバンサー国までその遊歴の足跡が残されています。またお釈迦様は女性の出家には最初は反対でした。理由としては女性は修行に専念しにくいということや、教団の規律の維持も困難になると考えていたからです。そんなある日女性たちがお釈迦様の元へ向かってきており、その女性とはお釈迦様の養母のマハープラジャーパティーや妻のヤショーダラーたちでした。女性たちは出家を求め裸足で足にまめをつくり血だらけの足を引きずりながらもお釈迦様のいる精舎を訪れ懇願し続けました。それを見た弟子のアナンダはお釈迦様に直訴し、お釈迦様もアナンダの気迫におされる形で比丘尼教団の創設を認める判断をしました。

 またお釈迦様の教化の足跡は天界まで及んだと言われています。ある日、衆生があまりに怠けているのを見たお釈迦様は誰にも告げることなく天界にのぼっていき、在天三ヶ月お釈迦様は亡き母とまみえ亡き母のために説法しました。地上では人々がお釈迦様の不在をなげきコーサラ国のハシノク王は悲しみのあまり床についてしまい家臣たちはお釈迦様の像をつくり王を慰めたと言われ、その三ヶ月後ようやくお釈迦様が梵天と帝釈天をしたがえて天から降りてこられたと言われています。

 あまりにも急激な仏教集団の発展は世間との摩擦を引き起こしてしまい、お釈迦様をねたみ憎む人々も多少なりともいました。しかしお釈迦様はすべての陰謀や刺客を振り払い教団を維持しましたが、お釈迦様にはさらに老いという刺客が忍び寄っていました。

 成道後45年もの間、旅を続けられたお釈迦様は80歳になっていました。お釈迦様は常に心理を説き続けきましたが、晩年には疲労を感じ体を休めることが多くなっており、その頃にはお釈迦様は真理の世界への帰還を考えていました。

 自分の死期を感じ取っていたお釈迦様は、パーバーの都で最後の食事を行いましたがその食事の中に毒キノコが混ざっておりはげしい腹痛に襲われ、沙羅の樹で横になられました。そんな中お釈迦様にどうしても説法してもらいたいと遊行僧があらわれ、自分が辛い中でも教化の説法を行い、最後に弟子を作られました。

 そのうち僧たちが集まり、庶民や52の生類たちもお釈迦様の周りを取り巻きました。お釈迦様は最後に「すべてのものは無常である。あなたがたは怠らずに努力しなければならない。」と言い残し、80歳で入滅しました。

 こうして肉体を持ったお釈迦様は、肉体を超えたお釈迦様となり、お釈迦様は宇宙いっぱいに拡大し、時間と空間を超越した存在となったのです。

 今回はここまでにします。次回Part3へ続きます。

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