第七十三回コラム「仏教用語について part15」

刹那(せつな)

 

  ほんの一瞬を表す「刹那(せつな)」は現代では、反射的に「刹那的な生き方」とか「刹那主義はダメだよ」など、否定的な言葉が連想されがちです。「刹那(せつな)」はサンスクリット語で「クシャナ」の音写で、時間の最小単位のことをいい、決して否定的な意味合いはありません。

 仏典に出てくる1昼夜=30須臾(しゅゆ)、1須臾(しゅゆ)=30臘縛(ろうばく)、1臘縛(ろうばく)=60怛刹那(たんせつな)、1怛刹那(たんせつな)=120刹那(せつな)ですから、これを現在の時間で表すと、1昼夜=24時間、1須臾=48分、1臘縛=136秒、1怛刹那=5分の8秒、1刹那=75分の1秒となります。1回指を弾く間に60あるいは65の刹那があるとされているそうです。

 これからわかるように、刹那は「極めて短い時間」という意味で使われ、また、「短い時間を大切に過ごしなさい」と言う教えでもあります。

納豆(なっとう)

 

 毎日食べる人もいるであろう納豆。この納豆は仏教からでた言葉です。元禄時代の「本朝食館」に、お寺の納所(なっしょ)で作られていたために「納所豆」という記述があり、これが単純化して「納豆」になったそうです。「納所」というのは、お寺で寺務をしたり食糧を納めていた場所のことで、壺や桶に豆を入れていたそうです。

 納豆は豆腐と同じく、僧によって中国から仏教を通じて日本に伝来し、寺院で製造がされ、やがて民間にも普及していきました。

 

未曾有(みぞう)

 

 大事故が起こった際に「未曾有の事故」などと表現することがあります。この未曾有とは、「みぞうゆう」とは読みません。正しくは「みぞう」です。

 未曾有はサンスクリット語で「アドゥブタ」という言葉で、「奇跡」や「あり得ない」または「驚き」という意味があります。中国で未曾有を漢字で表現されたもので、日本では「未だ曾て有ることなし」ということで、「今までなかった事が起こった」という意味で用いられます。

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