第二十四回コラム「インド仏教の歴史 part1」

人類の救世主ブッダの誕生

 

 菩提樹の下で悟りを得てブッダとなったお釈迦様は、多くの人を教化しやがて入滅します。インド仏教はこれまでに長い年月をかけて広まってきました。今回から何回かに分けてインド仏教の歴史について見ていきたいと思います。

 1 お釈迦様誕生

 2 悟りを開く

 3 各国への布教

 

 1 お釈迦様誕生

 ヒマラヤの山中にアシタ仙人という一人の仙人が住んでいました。彼は「人生の輪廻の鎖から解き放ってくれる人物が現れる」と予言し、アシタ仙人が言ったように後にブッダとなられるお釈迦様が誕生しました。

 西暦紀元前五百六十六年四月八日、旅にあったマヤ妃が途中ルンビニー園で休息したとき、その右脇を破り出てお釈迦様は産声をあげました。この時地上に七つの蓮の花が咲き、その上に降り立ったお釈迦様は七歩を歩み凛と響き渡る声で「天が上、天が下、われにまさる聖者なし」と宣言しました。これこそが「天上天下唯我独尊」いわゆる誕生偈と呼ばれるものでした。

 お釈迦様はシャカ国の王子として生まれ、名をシッダールタと命名されました。偉大なる人物の生命を宿した母胎はそれだけ燃焼も大きかったのか、マヤ妃はシッダールタを産んだ七日後に亡くなられました。その後シッダールタの父親であるスッドーダナ王はマヤ妃の妹であるマハープラジャーパティーと再婚した。したがってシッダールタは血縁の叔母に養育され、また太子は七歳になると師から学問を授かるとその知能の高さにいつも師の賞賛を受けていました。また王族にふさわしい武芸をも学び、武術においても優れた才能を発揮していたことから、父は将来シッダールタがシャカ国を率いることを望んでいました。

 ある日、五穀豊穣の祭典が行われためシッダールタは式典に列席しました。祭典の途中に小さな鳥がミミズをくわえて飛んでいるところを目にし、その後すぐに小さな鳥を大きな鳥がくわえて飛んでいくところを目撃しました。シッダールタは「生きとし生ける者がなぜ殺し合わなければならないのか」と瞑想にふけり、これがはじめての禅定でした。

 この出来事からシッダールタはしずみがちになっていたことから、王はいくつかの策を試みました。冬と夏と雨季とそれぞれの季節にふさわしい三つの宮殿を建て、美女をはべらせて歌や踊りで楽しませたり、また結婚すれば良くなると思うと妃を勧めたりしました。王の勧めでシッダールタはヤショーダラー姫と結婚しましたが、この結婚も心の慰めとはなりませんでした。その後二人の間には子供ができ、名をラゴラと命名しましたが、子供が生まれて数日後にシッダールタは出家することを決意し、夜中に城を抜け出し静かに旅立ちました。

 

 2 悟りを開く

 シャカ国を旅立った後、シッダールタはマガダ国の洞窟で修行をしていました。するとその姿を見たマガダ国の王であるビンバシャラはマガダ国に仕官して欲しいと頼みに来ました。しかし、シャカ国の王家の子だったと告げると王はあきらめ、その代わりに悟りを開いたらこの国に立ち寄って欲しいと頼み、二人はそこで約束を交わしました。その後にシッダールタは二人の仙人のもとで修行をしました。一人はアラーダ仙といい無念無想の境地を習得するのに生涯の大半を要した人物で、もう一人はウドラカ仙といいこの人物もまた人生の大半を修行に費やした人物でした。シッダールタは二人の修行をわずか数ヶ月で修得し、二人から弟子たちに訓導して欲しいと頼まれましたがそれを断り、苦行を試みようと二人の仙人のもとを去って行きました。

 シッダールタはマカダ国のウルビルバー地方で六年の苦行を続けていました。この地に誠の苦行者あり、そんな噂を聞きつけシッダールタの傍らには五人の修行者が集まっていました。それほどシッダールタの苦行は真剣で、その中でも最も代表的な苦行は断食でした。断食を続けること数ヶ月後、極端に執着しても真理を得ることができないと感じたシッダールタは全ての苦行をやめることを決意しました。そのことを五人の修行者に伝えると「そんなものは堕落だ」と言われ、シッダールタのもとを去って行きました。

 ガヤの町郊外の菩提樹の下で座禅を続け、シッダールタの内面では悪魔との執拗な戦いを繰り広げていました。その戦いに勝利し、しばらく静かな時間が流れ過ぎ、シッダールタは瞑想を続けました。すべてがあるがままにとらえることのできる境地に近づいたとき、やがて東の空に朝日の差し染めるころ、彼に清らかな天眼が生じました。菩提樹の下に座っていたのはもはやシッダールタではなくブッダでした。それから七日間ブッダは禅定を続け欲望の火が消え去り、彼の心は静寂に包まれていました。さらにブッダは瞑想を続け、十五日目に雨が降り始め二十一日目まで降り続きましたが、この時竜王が現れブッダの頭上を身でおおって守護したと言われています。このまま真理の世界に帰ってしまうつもりでいましたが真理をとき、人々に伝えることこそが重要だと考え、苦行を共にした五人に伝えることを決意しました。はじめは聞く耳を持たなかった五人でしたが、ブッダの自信に満ち溢れた姿を見て説教に耳を傾けました。ブッダは何日も真理を教え続け、ついに五人は悟りを得ることができました。その後ブッダは教えを伝えるために各地を旅していました。そんな時ハラマ国の豪商の子でヤシャという人物に出会い、在家の人に対してはじめて説法を行い、こうしてヤシャは六人目の弟子となりました。ヤシャに続いて彼の両院とその妻もお釈迦様に帰依し、最初の在家信者となりました。

 

  3 各国への布教

 布教を続け弟子を多数抱えるようになったブッダは、弟子たちに「伝道の旅に一人で出よ」と伝えブッダと弟子たちは各自、様々な国へ布教の旅立ち、ブッダもまた思い出の地であるウルビルバーに向かう中で各地で人々に説法を行い、弟子を増やしながらウルビルバーに近づいて行きました。マガダ国に立ち寄ったブッダは、その国で千人の弟子を持つ大教団を率いている三兄弟と出会い、その三兄弟の長男と神通力比べなどを行い、敗北した三兄弟と千人の弟子たちは仏教に改宗することとなりました。これは仏教教団にとってまさに画期的な事件でした。

 マガダ国に立ち寄ったのは以前に約束したビンバシャラ王に会うためで、悟りを開いたブッダは王に法を説きそれに感動した王は竹林を寄進したいと打診しブッダはこれを受け取り、後にこの地は竹林精舎と名付けられ仏教教団が持った最初の寺となりました。ブッダはしばらくの間この竹林精舎を中心にマガダ国において布教を続け、ブッダの説法は対機説法と呼ばれ相手の能力や性格にあった教えを説いたことから、だれにでもわかりやすいもので、在家信者も多くブッダに帰依していました。

 マガダ国で布教を続けていたブッダの前にコーサラ国で商人をしているシュダツという人物が現れて、「ぜひコーサラ国でも法を説いてください」と頼み、ブッダは沈黙で持って約束をしました。コーサラ国に帰ったシュダツはブッダが静かに過ごせる場所を探し、結果コーサラ国の太子の林園が適当な場所であると判断しました。早速太子に林園を譲って欲しいと頼みましたが、「たとえ林園に黄金を敷き詰めたとしても譲らない」と断固断られました。しかしどうしても諦められないシュダツは、その土地に黄金を敷き詰めはじめました。あまりにも鬼気迫るシュダツに太子は「なぜそこまでして欲しいのか」と聞くと「ブッダのための精舎を建立したいから」という理由を聞きました。それを聞いた太子は自分も是非寄進したいといい、この精舎は祇園精舎と名付けられコーサラ国の布教の拠点となりました。

今回はここまでとなります。次回part2へ続きます。

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