第八回コラム「戒名(法名・法号)について」

古くから使われている戒名(法名・法号)とは

 人が亡くなった際、仏教では戒名(法名・法号)をつけます。《ここからは一般的な呼び名である戒名ということで話します。》ではなぜ戒名が必要になってくるのか、説明していきたいと思います。

 1 戒名って何?

 2 戒名の意味について

 3 偉人の戒名

 

 1 戒名って何?

 そもそも戒名とは一体なんなのでしょう。戒名とは戒律を授けられたことによって与えられた仏弟子としての名前のことを言います。ですから戒律のない浄土真宗では法名といい、日蓮宗では法号と呼びます。つまり戒名を授けられると、戒律を授けられた人となるので出家した人になるのです。

 では出家とは一体なんなのでしょうか。出家とは仏道に入り仏弟子になることで財産も家族も捨てお釈迦様の弟子になることをいいます。実際のところ普通に暮らしている私たちにとっては難しいので、一般の人は死んだ後で出家したことにしているわけです。

 このことを踏まえて、戒名をつける理由としては浄土には俗世の名前のままでは行けないので、浄土に行った際の呼び名として戒名が必要なのです。

 2 戒名の意味について

 戒名は字数が多く一般に人から見ると何を書いているかわからないものだと思います。また宗派ごとによって戒名の特徴も存在します。そこで戒名について詳しくみていきたいと思います。

 並びの例としては『〇〇院△△□□居士(大姉)」となります。〇〇には院号、△△には道号、□□には法号が入り、居士(大姉)は位号と呼ばれています。これは宗派によって異なり、梵字・日号・誉号といったものがつくこともあります。この並びを基準に説明していきます。

 一つ目に院号とは、院号あるいは院殿号といい本来は故人が宮殿や院(垣根のある建物)に住んでいたことを意味する最上の尊称のことです。また院殿号は戒名の中で最も位の高いもので、現在は地域の名家や功労者あるいは総理大臣経験者の政治家などに対して贈られるものとなっております。

 二つ目に道号とは、仏法に帰入した者に与えられる名であり仏道を証得した高僧に許された称号のことでしたが、その後に本来の意義が薄れていき別名や通称となっていきました。道号は1300年代までは使われてませんでしたが、4文字の戒名となってから付けられるようになりました。また道号は自由度が高いのですが相応しくない文字も多く注意しなければならない反面も持ち合わせています。

 三つ目に法号とは、本来法号が戒名のことで、葬儀を執り行う時に菩提寺のご住職より故人に授けられることが多く、故人の名前(俗名)から一文字とってつけます。

 四つ目に位号とは、仏教徒としての階級を表す号です。位号は年齢や性別、信仰心の篤さ、お寺や社会に対する貢献度などによっていくつか決められています。男性ならば「居士」「信士」「禅定門」、女性ならば「大姉」「信女」「禅定尼」、子供ならば「童子」「童女」などがつきます。

 3 偉人の戒名

 みなさんもよくご存知の武田信玄とそのライバルである上杉謙信もあれは戒名であるとご存知だったでしょうか。二人は出家していて、生きている間に戒名をいただいていました。二人の実際の名前は、信玄の名は晴信で謙信の名は輝虎でした。戦国の世であったのでいつ死んでもいいように生前に戒名をつけていて、その頃の武将はみな戒名をもって通称としていたので私たちにとっても戒名の方が馴染み深いのです。

 特にこの二人が戒名で通用したわけは、二人は師僧について修行に励み独自の境界を開いたと言われています。信玄は岐秀元伯という禅僧について修行し、仏門に入った時に妙心寺を開いて関山慧玄の「玄」の字をいただいたのです。また一院を建ててそれを法性院と名付けています。入道となってからは様々な高僧を甲斐に招いて教えを受け、晩年心の師としたのは恵林寺の快川紹喜でした。有名な信玄の風林火山の軍旗は紹喜が尊師の教えからとったもといわれています。またこんな話もあります。あるとき信玄は紹喜の力量を試そうと座禅をしている紹喜の鼻先に刀を突きつけたことがあり、その際に紹喜は「紅炉上一点の雪」(火の上に一点の雪を置くとすぐにとけるように、私欲・迷いなどがとけることを意味する。)といって少しも動揺しませんでした。さらに信玄に「一軍の将たるもの刀にたよるようではその力量は程知れている。全軍を統率し、天下に覇を唱えんとするならもはや自ら刀をとることをやめなされ。」といい、以後信玄は決して刀を抜かなかったと言います。このことがきっかけで信玄は川中島の戦いで、謙信の刃を軍配で受け止めたという有名な逸話が残っています。

 謙信は仏教との縁が深く、越後守護代だった長尾為景の次男として生まれ、七歳の時には長尾家の菩提寺の林泉寺に預けられました。それから十四歳まで住職の天室光育に徹底した仏道修行を受けました。その後林泉寺の次の住職になった益翁宗謙について修行に励み、師の宗謙の「謙」の字をとって謙信という戒名を授かりました。

 信玄にとっても謙信にとっても戒名は単なる死後の名前ではなく、自分の生き様と境界を示すものであり、その名前が自分の生き方を律するものとなっていたのです。

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