第七十二回コラム「仏教用語について part14」

 世知辛い(せちがらい)

 

 「世知辛い」という言葉にはいろいろな意味やニュアンスが含まれています。「世知辛い世の中」というときは、「(抜け目のない人が多い世の中は)暮らしにくい」という意味になり、「世知辛い人」というときは「打算的で抜け目がない」という意味になります。

 「世知辛い」の「世知」は、もともと「世智」と書く仏教用語で、「世俗の智慧(知恵)」という意味です。世俗の智慧とは、俗世間を生き抜くための世渡りの知恵という意味です。「世渡りの知恵」がその後、「抜け目のないこと」「打算的なこと」「勘定高いこと」という意味に転じて使われるようになりました。そして「辛い」は「つらい」とも読み、「苦痛に感じる」という意味があります。つまり、「世知」の意味を強める言葉として添えられています。

 

 他生の縁(たしょうのえん)

 

 「他生の縁」でよく使われる用語としては「袖振り合うも多生の縁」です。道で人と袖を触れ合うような、ささいなことも、前世からの因縁によるものだという意味のことわざです。前世からの因縁という説明が出てきたように、その意味を深く知るには仏教の教えの理解が必要となります。

 「多生」とは仏教用語で、何度も生まれ変わるという意味の「輪廻転生(りんねてんしょう)」を表します。人は何度も生まれ変わりを繰り返すという輪廻転生は、古代インドからすでにみられ、仏教を創始した釈迦も持っていた思想です。

さらに、「縁」も仏教用語であり、「縁起(えんぎ)」の教えを表します。縁起とは、「因縁生起(いんねんしょうき)」を略した言葉です。物事にはすべて因(原因)があり、それに縁という間接の原因が作用して、結果が起こるという考え方が因縁生起で、仏教の基本的な教えの一つです。つまり、生まれ変わる前の前世からのめぐり合わせでここにふれあったのであり、偶然ではない、ということを「袖振り合うも多生の縁」は表しています。

 堂々巡り(どうどうめぐり)

 

 「堂々巡り」は、「大勢が手をつないで円陣を組み、ぐるぐる回る遊戯のこと」、「同じところをぐるぐる何回も回ること」、「議論が同じことの繰り返しになり、果てしないこと」という意味があります。

 「堂々巡り」の語源は、仏教用語からきています。仏教では僧侶や信者達が祈願をする為に、御堂や本尊、仏像の回りを何度も回るという儀式がありました。この儀式のことを「堂々巡り」と言い、そこから現在使われる意味になったのです。

 

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