自業自得(じごうじとく)
「自業自得」とは、自分が取った行動や習慣が、後になって自分に返ってくることを意味しています。悪いことを行った際に、それが自分で行ったこととして自分に返ってくるというニュアンスで使う言葉で、「自分の努力が実る」といったようにいい意味で使う言葉ではありません。
仏教の考え方では、良いことも悪いことも巡り巡って自分に返ってくるという考え方があります。また「業」は、インドの昔の言葉でカルマと読んでいました。
その考え方を元に生まれたのが、「自業自得」です。時間が流れて、現在のように悪い行いをしたときに使われるようになりました。
自由自在(じゆうじざい)
「自由自在」とは自分の思うままにできるさまや、思う存分に振る舞うさまといった意味があります。
仏教では、あらゆる束縛から解き放された境地を「自由」 といい、また「悟りの境地」ともいいます。他の人やものに影響や支配を受けることなく、安らかな境地をいいます。自由であれば、自分の思うままになれるので、これを「自在」 といいます。
仏や菩薩はそのような力を具えているので、仏のことを自在人といい、観世音菩薩のことを観自在菩薩といいます。その自在の力には、世の中を見抜く自在、説法、教化をなしうる自在、自由に種々の国土に生まれ、国土を清浄にする自在、寿命を伸縮できる自在など、種々の自在が説かれています。
だから、自由自在とは、何ものにもとらわれることのない、のびのびとした安らかな心身の境地と、そこから現れる、とらわれのないはたらきをいうのです。
唯我独尊(ゆいがどくそん)
「あの人はいつも唯我独尊な態度だ」などと「自分が一番」と偉ぶってうぬぼれている人に対して「唯我独尊」という言葉が使われますが、実際の意味はすこし違います。
経典によればお釈迦様が生まれた直後に、自らの足で7歩いたその先で、右手で天を指さし、左手で地を指さし、「天上天下唯我独尊」としゃべったといわれています。これだけ聞くとお釈迦様が「自分が一番だ」と言っているように聞こえてしまいますが、「唯我独尊」の「我」を、お釈迦さまだけのことではなく、我々、すべての人間のことに置き換えるとどうでしょうか。
「どんな人も尊い目的を果たす為に人間に生まれてきたのだ」と考えられます。すべての人は平等であると仰ったのが「天上天下唯我独尊」の言葉なのです。