身近な仏教用語
日常用語、元をたどれば仏教用語たくさんあります。
縁起(えんぎ)
チューリップの花は、その球根から咲きます。球根が原因(因)で花は結果(果)です。しかし、球根だけでは花は咲かず、温度・土質・水分・肥料・日光・人間の細心最新の手入れなど、さまざまな条件(縁)が球根に働いて花は咲くのです。
このように、すべてのものには、必ずそれを生んだ因と縁とがあり、それを因縁生起=縁起というのです。現実には、因と縁と果とが複雑に関係しあい影響しあって、もちつもたれつの状態をつくっています。『阿含経』に「これある故にかれあり、これ起こる故にかれ起こる、これ無き故にかれ無く、これ滅する故にかれ滅す」とあります。
日常、よく「縁起が良い・悪い」という言葉を聞きます。吉凶のきざしという意味なのでしょうが、本来は、他の多くのものの力、恵み、おかげを受けて、私たちは生かされているという、仏教の基本的な教えなのです。
(辻本敬順先生著・仏教用語豆事典より)
迷惑(めいわく)
「ご迷惑を、おかけいたします」「迷惑千万だ」から「近所迷惑」「迷惑駐車」まで、迷惑にはいやなめにあって、困ることを意味する日常語としてよく使われています。
迷惑は、もともと、道理に迷い、とまどうことで、どうしてよいか分からないで、途方にくれることを意味していました。
親鸞聖人は、仏の慈悲に包まれて、仏の力に生かされながら、なおも愛欲の絆にしばられ、名利を求めてさまよう自分に対する深刻な内観から、「悲しきかな、愚禿鸞(ぐとくらん)、愛欲の広海※1に沈没し、名利の大山※2に迷惑して……」と『教行信証』に記しておられますが、その迷惑がまさしく、この意味なのです。
(辻本敬順先生著・仏教用語豆事典より)
蒲団(ふとん)
坐禅(ざせん)の時などに、お尻に敷く敷物があります。直径30センチぐらいの円形でその中に蒲(がま)がつめられているものです。蒲の葉で編んだものもあります。これが、[蒲]の葉の[団]円、つまり、文字通り蒲団なのです。
現在、皆さんが使用されているふとんは、布団と書いて寝具です。敷きぶとんとか、掛けぶとんとか呼んでいます。そして、座る時に使うものには、わざわざ座ぶとんという名をつけています。しかも、常識的には四角形なのです。仏教の用具だった丸い座ぶとんが、四角形になり、いつの間にか寝具となっていったのですから、この変化は、まことにおもしろいですね。
(辻本敬順先生著・仏教用語豆事典より)