今回のテーマは「自身を捨てる(ネガティブ・ケイパビリティ)」です。
ご覧くださいませ。
前回に引き続き、今回もネガティブ・ケイパビリティについてお話させていただきます。
ネガティブ・ケイパビリティという言葉はロンドンで生まれた詩人のジョン・キーツが生み出した言葉で、性急に解決を求めず、どうにも答えのでない事態に耐える能力のことを言います。
問題を処理して解決しない能力をネガティブ・ケイパビリティという言葉で表現しています。
ジョン・キーツはシェイクスピアを啓愛していました。
シェイクスピアの物語にはシェイクスピアの意見や心情が入っていないところを、ジョン・キーツは「凄い」と言っています。
つまり、シェイクスピアの作品は、作者のアイデンティティをすべて手放した状態で物語が進んでいき、読者が様々な解釈をすることができる作品になっているところが「凄い」と言うのです。
ある映画評論家の方はひとつの作品において、見る側がいろんな受け取りかたができ、様々な意見が交わされる映画が素晴らしいとおっしゃっていました。
正にキーツが言うシェイクスピアの話に通ずると思います。
自分の意見や心情が作品に表れてしまうと、見る者を同じ意見や感情に誘導してしまい、よって結論付けてしまいます。
あえて、結論付けず、ありのままに現実を見せることによって、見る者にとっていろんな感情を与えることができる、これこそが素晴らしい芸術だと。
「真の才能は個性も持たず、決まった性格ももたない」ということだそうです。
これをジョン・キーツは「無感覚の感覚」と言っています。
それは、対象に同一化して、作者がそこに介在しない。ということです。
私が思うにシェイクスピアは自分の意見や感情に捉われず、その登場人物に同一化しそこで物語を繰り広げているのではないでしょうか。よく作詩家が「降りてきた!」と言ったりしている、そのような境地ではないかと思います。
真の才能は、性急な到達を求めない。到達を求めずに不確実さと懐疑とともに存在する。
これは自分のアイデンティティを手放し無我の境地となる即身成仏とも通じているのではないかと思います。
小説家といえば、私の大好きな「鬼平犯科帳」の作者、池波正太郎さんがある雑誌で取材を受けた時のこと。
連載していた小説の中で主人公が闇夜を歩いていたら、ある者に後ろから切りつけられそうになったがそれを避けた。というところで、物語は次週へ続くとなっていました。そこで編集者の方が、「この切りつけた男は誰ですか」と聞いたそうです。
そうすると池波さんが「いや、私も実は分からんのだよ。来週になれば大方の検討はつくと思うのだが」と言ったそうです。
これを聞いた帚木蓬生さんは、「なんて無責任な」と思ったそうですが、自分が小説家となった今、その気持ちがよくわかるとのこと。 帚木さんは、「小説を書くことは、暗闇の中を、懐中電灯をつけて歩くようなものだ」と、おっしゃいます。
「星の視点から進む方向はわかるが、どのような道が続いているのかはわからない。 10メートル進むと、また10メートル見える。一気に100メートルは見えない。」 そういう不確実な状態で小説を書いているそうです。 そして結末を決めて物語を書く人はいないだろうとおっしゃっています。予定調和な物語は感動を呼びません。
書き始めたときに、最期がどうなるのか分からない。分かっているとしたら段取り小説になってしまうからです。ある人物が予想もしない発言をしたり、頭の中にすでにあった展開と違う展開になったりすると作者も思いがけず興奮を覚えるそうです。
ジョン・キーツも、「詩人も自分のアイデンティティを消し去り、深く対象の中に入り込むことでその真髄を得られる」と言っています。 不確かさの中で、事態や情況をもちこたえ、不思議さや疑いの中にいる能力。それが、ネガティブ・ケイパビリティです。これは、対象の本質に深く迫る方法です。
その対象が人間であれば、相手を本当に思いやる共感にいたる手立てだと。「あの人はこうだ」「この人の悩みはこうだ」「あの人の考え方はこうだ」すべて決めつけて、安心したい。解決したい。でもそのような決めつけでは、本当の共感はできなません。 とはいえ、我々は職場、家庭でも腹立つことがあれば、単純化して気持ちに整理をつけようとしてしまいます。
だからこそ人生においてサードプレエイスが必要です。家庭でも無く、職場でもなく、第三の心休まる場所としてお寺にぜひお参りに行ってみてください。意味を求めず手を合わせる時間をもつことで不確実さの中にいても、また不思議を不思議と感じても、そのまま受け入れる境地に至れるのではないかと思っております。
ネガティブ・ケイパビリティを身につけ、答えの出ない毎日に耐える力をつけていきましょう。 私もそうありたいと思っております。
【毎月、須磨寺にて法話をさせて頂いております】 毎月18日の10時からの護摩祈祷と写経会、20日と21日は11時半から奥の院にて、そして、21日は14時から護摩祈祷をさせて頂き、法話をさせて頂いております。
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※こちらの記事は、小池陽人様から許可を得て転載させていただいております。
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