■般若山 柳堂 法盛寺-浄土真宗本願寺派

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法盛寺

住所:三重県桑名市萱町93
建立:1468年

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【お寺からのご案内】

法盛寺の沿革

浄土真宗本願寺派(西本願寺派)に属す。本尊は阿弥陀如来立像(歯吹如来とも俗称し、奥州藤原秀衝の持念仏とも言われ又、堪慶の作とも寺伝に云う。仏足紋のある歯吹如来として仏教美術史に遺る作品で鎌倉時代以前のものと学会で紹介されている・・・・・早稲田大学教授 加藤惇氏)

 

往古は天台宗に属し、三河国額田郡矢作にあって柳堂阿弥陀寺と称した。当時の住持、釋忠円が親鸞聖人のご教化を頂いて真宗に帰したのが法盛寺の発祥である。時に嘉貞元年(1235年)七月であった。親鸞聖人が関東を帰路の途次であった。

当時の寺号柳堂阿弥陀寺より、今日に至るまで柳堂の名は伝わり、教団史などの学術資料にも「柳堂」が法盛寺の通称の如く使用されている。この他寺誌等にも「柳堂」のなが多々残っている。然し現在「柳堂」を冠する寺院が、大谷・高田の両派に夫々一ヶ寺あり、当山を含むこの三ヶ寺の因縁・由来の解明が三河・伊勢に亘る真宗教団史の研究の未着手部分の一つではないだろうか。

忠円以来二百年有余を経て第六世祐慶の頃、応仁二年(1468年・・・蓮如上人ご治世の時代)兵乱ウィ逃れて桑名へ移住している。第七世祐超の時代、天文年間(1532〜1554年)に寺号を法盛寺と改める。

その後、元亀元年(1570年)第十世祐珍の時、長島一向一揆が発生し、その戦禍は八年間に及びそれによって伝来の寺宝・堂宇を焼失して或る時期約三十年員弁地方に移したと思われる形跡があり、慶長四年(1599年)現在地に寺基を定めている。

寛永十九年(1642年)福井御坊本浄寺が焼失した時の住持、理光院光如(准如宗主の息男)が、それ以降法盛寺に移住し第十二世となる。

尾張・美濃・伊勢に関係寺院二百余ヶ寺を数え境内には関係寺院七ヶ寺を伴って、当地方における念仏弘興の根本道場であった。

文化八年伊勢国総触頭となり西御坊とも称され本山又「桑名坊舎」の称号を得た。

明治八年本願寺桑名別院となり同十五年別格寺に列した。

安政四年に建立された本堂は、方十八間にして、それは本刹覚王殿(本山阿弥陀堂)を模しその宏壮雅麗近県の其の比を見なかった。おしむらくは昭和二十年七月十七日桑名空襲により焼失した。

平成十五年十三間四方の本堂再建、平成二十六年 墓地整備及び駐車場整備。現在に至る。

お寺基本情報

寺院名 法盛寺
ほうじょうじ
山号 般若山 柳堂
宗派 浄土真宗本願寺派
建立 1468年
住所 三重県桑名市萱町93

 

TEL 0594221154
WEBサイト
アクセス JR・近鉄・養老鉄道「桑名駅」から市内循環バス7分「法盛寺前」下車

 

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