第八十三回コラム「仏教用語について part25」

悪口(あっこう)

 

 悪口とは皆さんもご存知の通り、人のことを悪く言うことです。

仏教ではお釈迦さまが、人生を最悪の状態から守るための指標として、十悪というものをつくりますが、悪口はその中の一つです。

「妄語をいい、綺語を好み、悪口して他を罵(ののし)り、両舌して他の親好を破することを、口の四悪業という」と、『十善法語』という仏書に書かれています。妄語はうそをつくことで、綺語は真実にそむいて巧みに飾りたてた言葉。悪口は人をあしざまに言うことで、両舌は両方の人に違ったことをいい、両者を離間して争わせることで、二枚舌のことです。この4つは、口でしゃべる悪の行為だといいますから、慎まなければなりません。

閻魔(えんま)

 

 一般的には閻魔というと、地獄の裁判官としてイメージするかと思います。仏教の伝来とともに日本に入り、恐ろしいものの代名詞として知られるようになりました。日本では、地蔵菩薩と習合することで、信仰の対象にもなりました。閻魔はサンスクリット語のyama(ヤマ)の音写で、エンマと呼ばれるようになりました。

 閻魔の法廷には「浄玻璃の鏡」があり、死者が生前に行なった良い行動も悪い行動も、すべて映し出すとされています。法廷には地獄の書記官、司録と司命が左右にいて、閻魔の業務の補佐的な役割を行います。

 古くは古代インドの聖典『リグ・ヴェーダ』の神話の中で、死後の安楽な場所での王者として描かれていましたが、ヒンドゥー教の影響で閻魔は仏教に取り入れられ、さらに中国の道教などの影響をうけながら複雑な性格をもち、今日のイメージへと至りました。

擬宝珠(ぎぼし)

 

 擬宝珠(ぎぼし)とは、お寺(方形のお寺)の屋根の上に飾られてあるものや、お寺の須弥壇や回廊の欄干、橋の欄干などにつけられていて、丸い形で頭の先が尖がっているものです。

 擬宝珠は「ぎぼうしゅ」が訛った言葉で、宝珠(ほうじゅ)の似せもの(=擬)という意味です。本来は「如意宝珠(にょいほうじゅ)」という仏教の宝物をいい、すべての物事を思い通り(=如意)にかなえてくれる宝の玉(=宝珠)という意味だそうです。

 仏典にはよく宝珠として出て来ます。また、如意宝珠とも摩尼宝珠とも云われ、諸菩薩や諸天善神が手に持っている姿を目にしますが、これは、思いのままに欲しいものを出す、病魔・病苦を除き、濁水澄ませ、不幸・災いを除くと云われ『百事如意、一切の種知』を表わすそうです。

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