蓮華(れんげ)
蓮華(れんげ)は仏教の伝来とともに中国からやってきた言葉で、蓮(はす)や睡蓮の総称でもあります。泥沼に生じて美しい花を咲かせることから、古来より仏の悟りをあらわす仏教のシンボルとして親しまれてきました。
「泥中(でいちゅう)の蓮華」「蓮は泥より出でて泥に染まらず」などの古い諺(ことわざ)は、仏教理念に泥に象徴される俗世に生れても大輪の蓮華(悟り)を咲かせる蓮の花姿を重ねたもので、もとは中国の成句から生れています。つまり、中国から日本に伝わった「蓮華」とは、基本的には花が水面に触れない「蓮」のことであると考えられていて、蓮を清らかさの象徴とするのはヒンドゥー教の概念の影響を受けています。
また、観音様が手に持っている一輪の花は「未開敷蓮華(みかいふれんげ)」と呼ばれます。今にも咲きそうな蓮の蕾(つぼみ)を表現したもので、悟りを約束されながらも菩薩として働く観音様の姿をあらわしています。修業を経て悟りを得た状態を表現したのが、開花した蓮華を意味する「開敷蓮華(かいふれんげ)」です。
楊枝(ようじ)
楊枝は楊子とも書き、歯を清潔にする用具で歯ブラシや爪楊枝のことをいいます。サンスクリット語では「ダンタ・カーシュタ」といい「歯をすくもの」と言う意味です。
インドの修行僧が持っている道具を六物・十八物などと言いますが、楊枝は比丘十八物の一つです。インド、中国に始り、インドボダイジュ、ウドンゲノキ、トキワセンダン(ニーム)等の小枝の端を嚙んでササラ状にして歯を磨き、その汁で口を洗っていました。日本でも平安時代から、ヤナギの枝を細長く削って先をとがらせたものを用いていたそうです。
流転(るてん)
流転とは「物事が止まることなく、移り変わっていくこと」を表します。仏教用語で流転は、「六道(りくどう)の世界の間に迷いながら、生まれ変わり死に変わりすること」という意味でも用いられます。
「六道」とは、「人間は生死を繰り返して、6つの苦しみを次々とめぐるという考え」です。その6つとは、下記のようなものです。
①地獄→苦痛に溢れていること
②餓鬼(がき)→欲が深いこと
③畜生(ちくしょう)→幸福な人物を妬むこと
④修羅(しゅら)→他人と競争すること
⑤人間→辛さと楽しさがある人間界にいること
⑥天上→苦しむこと
この中で生まれて言葉が「生々流転」です。「生々」、「流転」の二つの熟語から成り立っていて、どちらも仏教の慣用句から生まれた熟語です。ちなみに「生々」は「生まれては死に、死んではまた生まれることを永遠に繰り返すこと」という意味です。