第四十八回コラム「仏教用語について part6」

会釈

 

 会釈と言えば、ビジネスマナー研修・新人研修などで、お辞儀の角度と共に教えられる、挨拶の形の一つではないかとお見受け致します。「挨拶」も仏教語・仏教用語であり、今回の表題にあげております「会釈」も、実は仏教用語・仏教由来の言葉です。

 お釈迦様の説法は、「対機説法(たいきせっぽう)」といって、個々に合わせて仏法を説かれました。対機説法は「応病与薬(おうびょうよやく)」(相手の病に応じて薬を与える)とも説明されることがあり、時と場合、そしてその人の苦によっては、別の人に説いたこととは真逆の事を説かれる事も御座います。

 そこから、あれこれ思い合せて納得できるような解釈を加えることや、色々な方面に気を配ること、儀礼になかった対応をすることなどの意味を経て、今のような使い方になったと考えられています。

我慢

 

 我慢は一般的に自分を押さえて耐えるという意味で使われ、良い意味に用いられています。我慢は仏教語なのですが実はあまり良い意味ではないのです。我慢は仏教において非常に戒められてきた事柄で、我慢という漢字を見るとよくわかりますが、我慢とはもともと「我に慢心を抱く」という意味の言葉です。自分に自惚れて、驕り高ぶり他を軽んじること。そこから転じて、我意を張ること、強情なことを我慢と呼ぶようになりました。

 仏教においておごり高ぶる心の状態を表す状態を七つに分けたものを「七慢」といい実は我慢はそのひとつのことを指しています。

① 慢(まん)
  自分より劣っている人に対しては自分のほうが優れているとうぬぼれ、同等の人には自分と等しいと心を高ぶらせる心。
② 過慢(かまん)
  自分と同等の人に対して自分の方が優れている思い、自分以上の人は自分と同等とする心。
③ 慢過慢(まんかまん)
  優れている人を見て自分はもっと優れている、とうぬぼれる心。
 我慢(がまん)
  自負心が強く、他人を軽んじる心。
⑤ 増上慢(ぞうじょうまん)
  悟っていないのに悟ったと思い、得ていないのに得たと思い、おごりたかぶる心。
⑥ 卑慢(ひまん)
  非常に優れている人を見て自分は劣っている、と思う心。
⑦ 邪慢(じゃまん)
  間違った行いをしても正しいことをしたと言い張り、徳が無いのに有ると思う心。

 

 この我慢という言葉は現代では我が強い、負けん気が強い、がんばる、辛抱するなどと変化したようです。元々が悪い意味で使われていた言葉が、よい意味の言葉に変わるという珍しい言葉です。

諦める

 

 何かの思いを断念するという意味で「諦める」という言葉が現在では使われていますが、この言葉はもともと「思いを断念する」という意味でもともと使われていたのではありません。

 本来は仏教で「諦観(ていかん)」と書き、「あきらかにみる」が元でした。その「あきらかにみる」がだんだんと「諦める」になったのです。「諦」には「真理を観察して明らかにみる」という意味があり、「真理を悟る」という意味になります。

 お釈迦様はその悟りの内容を苦諦・道諦・集諦・滅諦の四つの心理に分けて教え、それを見ることによって、真理を知ることができると説かれました。

 なので「諦める」という言葉は現在のように消極的な使い方ではなく、真理を悟るという力強い言葉なのです。

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