比叡山延暦寺
比叡山は京都市と滋賀県大津市との境界をなす山地、東の大比叡ヶ岳と西の四明ヶ岳の二峰にわかれる。山頂からは東は琵琶湖を隔てて湖東・湖西方面、西は丹波高地を京都市内、南は山城から大阪方面を望むことができます。
古くから山岳信仰の対象となり、鎮護国家の霊山として崇められていました。788年に最澄は一乗止観院(現在の根本中堂)を創立し、自ら刻んだ薬師如来像を安置して比叡山と号しました。これが比叡山延暦寺の始まりです。
天台の系譜~比叡山で修行した名僧たち~
円仁(慈覚大師)
下野国(栃木県)出身で15歳の時、比叡山に登り最澄に師事する。838年に唐に渡り9年の間、五大山や長安などで勉学に励む。密教の秘法や摩訶止観、念仏法門などを日本に伝える。第三世天台座主となり慈覚大師と勅謚される。
円珍(智証大師)
讃岐国(香川県)出身で14歳の時、比叡山に登り義真に師事する。853年に唐に渡って悉曇、止観、密教の秘法などを学ぶ。858年に帰国以来、台密の興隆に努め、園城寺に灌頂壇を開く。第五世天台座主となり智証大師と勅謚される。
相応(建立大師)
近江国(滋賀県)出身で15歳の時、比叡山に登り円仁から教観を学ぶ。863年に不動明王像を彫り、867年に葛川に無動寺を開き、自ら彫った不動明王像を安置する。また回峰行をはじめ、無動寺を回峰行の根本道場とした。
良源(慈恵大師)
近江国(滋賀県)出身で12歳の時、比叡山に登り西塔の理仙に師事する。963年に清涼殿の法華絵で東大寺の法蔵を論破し、名声は天下に知られた。第八世天台座主となり、慈恵大師に勅謚される。諸堂復興につとめ、比叡山中興の祖といわれる。
源信(恵心僧都)
大和国(奈良県)出身で9歳の時、比叡山に登り良源に師事する。958年に法華八講の師として講義して僧都の位をおくられた。念仏による極楽往生の方法を示し、984年「往生要集」を著した。恵心院の住職となり、恵心僧都と呼ばれる。
真盛(慈摂大師)
伊勢国(三重県)出身で19歳の時、比叡山に登り慶秀に師事する。1483年に黒谷の青竜寺にこもり、源信の「往生要集」に感銘し、戒称二門(円戒と念仏)の法義を唱えた。後柏原天皇から円戒国師の諡号をたまわり、慈摂大師と勅謚される。
天海(慈眼大師)
会津国(福島県)出身で少年期に竜興寺で出家しする。諸国を遊学し、天台・華厳・唯識・禅・密教などの諸学を修め名声を高めた。1590年に川越喜多院の豪海に支持し、天海と名を改た。徳川家康の信任を得て、比叡山復興や門跡寺院の発展に尽力した。
空也上人
平安中期京都に生まれ、20余歳で出家し自ら空也と名乗った。983年、36歳で京都に入り市中にあって民衆に念仏を広めたところから市聖と呼ばれた。948年に比叡山にて授戒し、963年に六波羅蜜寺を創建し踊り念仏の祖とされた。
覚運僧都
平安中期京都に生まれ、早くから良源の門で天台学を学び、秀才と知られる。叡山東塔南谷の檀那院に住み、源信と並ぶ名声があった。いっぱんに檀那僧都、檀那僧正と呼ばれる。
良忍上人
平安末期愛知に生まれ、12歳で檀那院良賀のもとで出家し、天台教学を修得また不断念仏を修める。23歳の時、比叡山を出て洛北大原に住み、来迎院・浄蓮華院を開創する。46歳の時、融通念仏宗を開く。1127年大阪の平野に大念仏寺を開き、融通念仏の根本道場とした。
法然上人
平安末期岡山に生まれ、13歳で出家し15歳で比叡山に登り、さらに奈良において各宗の教義を学ぶ。18歳の時、黒谷へ隠棲し叡空についた。求道の末「観無量寿経諸疏」によって念仏の道を見出した。ひたすら念仏することを説き、京都東山に知恩院を建て浄土宗を開いた。
栄西禅師
平安末期岡山に生まれ、11歳で出家し天台と密教を学ぶ。28歳の時、中国(宋)にわたり天台の経典三十余部を持ち帰り、書籍は叡山の明雲に献じた。さらに49歳の時、再度中国(宋)にわたり臨済宗を学び53歳の時に帰国する。1202年京都に建仁寺を開き、天台・真言・禅の三宗一致の寺とする。
親鸞聖人
平安の末期京都に生まれ、9歳で出家し横川の常行三昧堂の堂僧として修行した。29歳の時、夢に救世観音の啓示を受けて法然のもとで専修念仏の門に入る。専修念仏の禁止にあたって、法然上人とともに流罪となる。非僧非俗の立場を明らかにして愚禿親鸞と号し、関東にて教化した。「教行信証」を著し浄土真宗を開いた。
道元禅師
鎌倉初期京都に生まれ、13歳で横川の千光房に入り、14歳で出家した。18歳で建仁寺の明全に師事し禅学につとめる。24歳の時、明全らとともに中国(宋)にわたり曹洞禅の正統をついで帰国。1233年深草に興聖寺を開き、「正法眼蔵」を撰述し説法をはじめる。1243年越前に移り永平寺を建立し、曹洞宗の根本道場とした。
日蓮上人
鎌倉時代千葉に生まれ、12歳で清澄寺にて道善の教えを受ける。16歳で得度し、21歳で比叡山に登り横川の地で修行に励む。31歳の時清澄寺に帰り、この歳に清澄山ではじめて南無妙法蓮華経の題目を唱え、日蓮と名を改める。法華経のみが成仏の教えと説き他宗を激しく非難した。
一遍上人
鎌倉時代愛媛に生まれ、10歳の時出家し、比叡山で修行をする。善光寺・高野山など各地を遍歴し、1274年熊野に百か日参籠「六字名号一遍法」の偈を感得し一遍と号して時宗を開く。全国を遊業して人々に念仏を唱えることをすすめ踊り念仏を盛んにした。神仏一体の教えなど民間信仰に大きな影響を与えた。