第三十六回コラム「七福神の物語 part1」

貧乏神は縁起の悪い神ではない

 貧乏神は一般的には縁起の悪い神様として認識されがちですが、実はそうではありません。涅槃経という大乗経典にはこんな話があります。

ある家に美女が訪ねてきました。

華麗なる衣装を身にまとい見るからに気品あふれた女性でした。

その美女は吉祥天といい、その人物は仏教の幸福を司る女神でした。

その家の主人は大いに喜び、吉祥天を家の中に招き入れましたが、その後ろから一人のみすぼらしい女性がついてきました。

主人は「あなたは誰か」と尋ねると、

その女性は黒闇天と名乗りました。黒闇天は災いを起こす神(貧乏神)でした。

主人は黒闇天に出て行くように言うと、

黒闇天とともに吉祥天も家から出て行ってしまいました。

実は二人は姉妹であったため、吉祥天と黒闇天は肩を並べて出て行ってしまいました。

 つまり福の神と貧乏神は表裏一体の関係ということです。貧乏神がいれば福の神も必ず近くに来ているということなので、これを福とするか災とするかは受け手の心一つというわけです。

 

 神々の変遷

 七福神とは、大黒天(だいこくてん)、毘沙門天(びしゃもんてん)、恵比寿天(えびすてん)、寿老人(じゅろうじん)、福禄寿(ふくろくじゅ)、弁財天(べんざいてん)、布袋尊(ほていそん)の七つの神様の総称ですが、当初は必ずしもメンバーが一定していませんでした。

 室町時代から江戸時代の初めにかけて長い間、戦乱の世が続き、人々は苦しみ疲れ果てていました。やがて泣いて暮らすも一生、笑って暮らすも一生と洒落やこっけいを求めるようになっていきました。そうした中でおどけた笑いと福を求めて発生して来たのが「七福神信仰」でした。

 はじめのころは七福神の中に「うずめの命」が入っていましたが、うずめの命は天照大神が岩戸にこもったため国中が暗くなった時に岩戸の前でこっけいな踊りをして岩戸を開かせた伝えられる俳優の元祖とも言われています。

 ところが竹生島の弁財天が流行してくると、弁財天は美しく、なおかつ福徳を授けてくることからうずめの命と入れ替えられたのです。

 ついで寿老人と福禄寿の二体の神はもともと南極老人という一体の神様でした。そこで寿老人の代わりに吉祥天が七福神に加えられることとなりました。吉祥天は大黒天・毘沙門天・弁財天とともにインド出身の神様で、インド神話にも出てくるラクシュミーの別名とされています。

 このように七福神は現在の形になるまで、いろいろな変化を経て形成されたことがわかります。

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