人が亡くなった時にはお葬式をあげるのが当たり前…と多くの方が考えている反面、「わたしが死んでしまったら、ここでお葬式をしてほしい」ということを決めている方はとても少ないようです。元気な時に『死』を想像するのは何となく縁起が悪いような、まして病気になってしまった時は『死』を想像するなんてとんでもない!とすら思ってしまう方もいらっしゃるでしょう。
では、事前に葬儀場を決めていなかったら、『わたし』が死んでしまった時、誰がそれを決めるのでしょうか。
日本では1976年を境に、自宅で亡くなる方よりも病院で亡くなる方が多くなり、今では亡くなる方の80%近くの方が病院で息を引き取られているというデータが出ています。誰だって、住み慣れた我が家で死にたいのが本音だと思いますが、それを叶えられる人の割合が圧倒的に少ないということになります。
病院で亡くなった場合、故人はずっと霊安室にいられるわけではないこと、ご存知ですか?ご遺体の処置をして、事務手続きを終えたら、できるだけ早く病院から搬送しなければならないのです。平均して約2時間と言われるこの短い時間で、残された家族は故人をどこに搬送するのか決めなくてはなりません。自宅に連れて帰るのか、それとも葬儀場に直接行くのか・・・
葬儀場が決まっていなければ、ここに費やす時間はかなり掛かってしまうかもしれません。
葬儀をどこであげるのか…ということ以外にも
身内に知らせなきゃ!
死亡届の手続きってどうするの?
お葬式には誰を呼ぶ?
お坊さんは?
お通夜や告別式の日はどうやって決めるの?
遺影にする写真を探さなきゃ!など、
決めることや、しなければならないことがいっぱいで、アタフタアタフタ・・・という状態になりますよね?
まさに「悲しんでいるヒマはない」は、この時点から始まります。
大切な家族が亡くなってしまったら、ひとしきり泣いて悲しむくらいの時間は欲しいと思いませんか?
そう考えると、やっぱり「わたしが死んでしまったら、ここでお葬式をしてほしい」ということを、元気なうちに決めておいて、家族にそれを伝えておけば、残された家族が思い思いに泣ける時間を与えてもらえるんじゃないかな…と思うのです。
そうは言っても、自分が…親が…家族の誰かが…死んでしまうことを前提に、生きている間にお葬式のことを考えることなんて・・・。病気や事故で回復の見込みがないと分かった時に葬儀場を決めておくことなんて・・・。「縁起でもない!」「早く死ねと言ってるようなもんだ!」「葬儀場を決めたとたんに死んじゃうような気がする…」そんなふうに思ってしまう気持ち、あると思います。
実は私、そう思っていました。11年前に母が突然脳梗塞で倒れ、手術ができず回復の見込みはないと医師に伝えられてから数日後、父から良い葬儀場を探しておこうと言われ、「絶対に治る!お母さんが死ぬはずはない!」と信じ切っていた私は泣いて反対しました。それはもう号泣レベルで。早く死んでほしいのか!と…。
母はその後、自力では全く動けず、話すこともできない状態のまま3年近く生きてくれましたが、それ以降「お母さんが死んだらどうする」と私に言わなくなった父は一人で葬儀場を探し続け、ひそかに『ここにしよう』と決めておいてくれたおかげで、最期の日が来てしまった時、慌てることなくスムーズに、母を葬儀場の素敵なお部屋に連れていくことができました。悲しむ時間、母との思い出を振り返る時間もできました。「お母さんはこういう感じが好きだよね。お母さん喜んでくれるかな。」という気持ちで葬儀の準備をすることもできました。…でも、できれば母が元気なうちに「わたしが死んでしまったら」という話ができていたら、父一人に葬儀場探しを背負わせることはなかったのかな、と今でも後悔しています。
こういった経験から、お葬式をあげる場所を生前に決めておくことは、とても大切だと考えています。できれば夫婦一緒に、できれば親子で、できれば家族みんなで。元気だったあの頃に「そんな縁起でもない~(^^;)」と笑って話しながら、一緒に決めた葬儀場でのお葬式。泣いて笑って感謝して、丁寧にお見送りすることができるのではないでしょうか。
終活、大事です。
終活スタイルプランナー 鈴木治美(Living Proof【わたしの終活スタイル】)