第三十回コラム「密教について Part2」

 曼荼羅の世界

 曼荼羅といえば胎蔵界曼荼羅と金剛界曼荼羅の二つが有名ですが、たいてい密教寺院では東に胎蔵界曼荼羅を西に金剛界曼荼羅を掛けています。

 まず胎蔵界曼荼羅ですが、これは「大日経」という密教教典に基づいて描かれたものです。中央の大日如来の発した慈悲が四方八方に及んでいることを示しており、大きな仏の宇宙を表しています。

 次に「金剛頂経」という経典に基づいて描かれたものが金剛界曼荼羅で、全体が九等分されており、金剛回曼荼羅は我々の心のうちにある仏の宇宙を描いたものです。

 このように胎蔵界曼荼羅は外在する大宇宙マクロコスモスを表現し、金剛界曼荼羅は小宇宙ミクロコスモスを表現しています。

 三密加持

 前回のコラムでお話しした、「仏の真似をして生きる」3つのポイントである身・口・意の三業は、我々凡夫が使う言葉です。しかし「ほとけ」の場合はこれを「業」とはいわず「密」といいます。そこで「身・口・意の三業」にほとけの「身・口・意の三密」が加わり感応して自分が本尊と一体になるのを三密加持といいます。

 まずはじめに三密加持の身密は顕教では凡夫が修行を重ねて一歩一歩ほとけに近くのに対し、密教では自分の身体をいきなりほとけに合体させてしまうものです。方法としては本尊の前に座り、最初に本尊が行者(我)の胸の中に入り、次に行者が「本尊に入る」と念じること、これを「入我我入」といいます。わかりやすく言うと俳優が役の人物になりきるように「ほとけ」を演じ、そうすると凡夫の身業とほとけの身密とはぴったり一致します。されにこの身密加持のためには伝統的な「印契」が使われ、「印契」とは左右の十本の指を組み合わせていろいろな形を作ることです。印契は多数ありますが、大日如来の代表的な二つの印は智拳印と法界定印で、もう一つ大事な印は合掌印です。これは様々な印契農地でも基本となります。以上が三密加持の一番目の身密です。

 次に三密加持のうちの口密は仏様の言葉を語ることです。仏様の言葉を真言といい、我が国の密教宗派を真言宗というように真言は密教において非常に重要なものです。真言は仏様の言葉そのものなので、それを唱えることにより仏の力が加わるのです。

 次に身・口に続いて意密です。意密は心密とも言われ心の問題で、三密の中でも一番難しいことです。仏様の悟りの境地は言語によって表現できません。例えば「長い」という概念は「短いもの」を予想して、それと比べて長いというにすぎません。1メートルの棒を長い棒という時、それは50センチの棒を前提としているから長いもので、2メートルの棒の場合だととたんに短い棒になります。つまり絶対的に「長い」ものを表示することはできないのです。

 このように悟りの境地もとうてい人間の言葉では表現できないことを「言語道断」といいます。仏の境地は「言語道断」であり、したがって凡夫がそれを理解しようとすればどうすればいいかというと、自身が直接悟りの境地に飛び込むしかありません。その悟りの境地に飛び込む方法が瞑想であり、入我我入の観法なのです。

 もう一つ密教の大事な観法が「阿字観」です。阿字観とは阿の字を観ずることで、阿は梵語のアルファベッドの最初の文字「ア」のことです。密教では説明ではなく、「阿字をまず瞑想せよ」といいます。阿字を前にして座り法界定印を結んで静かに瞑想をしますが、ただ漠然と座るわけでは意味がありません。阿字はわれわれの命や天地宇宙の広大さ生命の本源の全てがこの「阿」にあるので、阿字は悟りそのものなのです。

 このように肉体と言語活動と心の3つの側面において凡夫と仏が合体するのが三密加持なのです。

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