第十二回コラム「お釈迦様の悟りについて」

ブッダはいかにして誕生したか

 今回はお釈迦様がいかにして誕生し、仏教がどのようにして広まっていったかについて話していきたいと思います。

 1 出家

 2 修行

 3 悟り

 4 布教の旅

 

 1 出家

 紀元前5世紀ごろヒマラヤの南麓に釈迦族という小さな部族が住んでいました。そのシャカ族の王スッドーダナと妃のマヤとの間に生まれた王子こそがシッダールタで後のブッダでした。母親であるマヤはシッダールタを生むとまもなく死んでしまったので、シッダールタは叔母のマハープラジャーパティーに育てられました。成長したシッダールタはヤショーダラー姫と結婚しラゴウという息子も生まれました。シャカ族は弱くて小さな部族ではあったがシッダールタはその王子として何一つ不自由のない毎日を送っていました。ところがシッダールタは城下で部族の民が老いを嘆き、病に苦しみ、死を恐れ悲しむ者をたくさん見てきました。その人間なら生きている限りつきまとう宿命を断ち切りたいと思い、出家したいと王である父のスッドーダナに進言します。当時インドでは十六の強大国があって互いに勢力を競い合い、その中で弱小部族は絶えず強大国の侵害に脅かされている時代でした。シャカ族の次の王となるシッダールタを出家させたくなかったスッドーダナは必死に説得しましたが、シッダールタの意思は固く出家を認めることとなりました。

 出家したシッダールタはマカダ国を訪れました。その頃インドには十六の大国がありましたが次第に四大国に統合されつつあった中、マカダ国はその四大国の一つとして強力な軍事力を誇り、ビンバシャラ王の治世のもと経済や文化が発達し、首都王舎城は様々な人種、周辺各国の人々で賑わっていました。城下でシッダールタを見たビンバシャラ王はただならぬ威厳の高さを感じ、シッダールタが修行するパーンダバ山に行きます。ビンバシャラ王はシッダールタに対して「還俗しマカダ国のために軍隊の指揮をお任せしたい。」と懇願しましたが、シッダールタは過去に小国ながら国の王子でありその身分を捨てて出家したことを伝え丁重にお断りしました。その巌のような固い意志を聞きビンバシャラ王は諦め、帰る際に「悟りを開いた時は、はじめに尊い教えをといて欲しい。」と言って帰って行きました。

 2 修行

 マカダ国王舎城の郊外にアラーダ・カーラーマとウドラカ・ラーマプトラという二人の仙人がいました。どちらも当時一流の禅定の大家でアラーダ仙人は約三百人、ウドラカ仙人は約七百人の弟子を持っていました。

 シッダールタはまずアラーダ仙人を師として修行しました。アラーダ仙人が体得した境地はいわゆる「無」の境地で、この境地を体得するには三十年~五十年かかると言われていましたが、シッダールタはわずか数日のうちにその境地に達しました。アラーダ仙人は高齢であったため自分の代わりに弟子たちを指導してほしいと頼まれましたが、「師の悟られた境地では禅定をしている間のみ幸福な気持ちになるが一度やめてしまうと現実に戻ってしまう。つまり現実の苦悩はなんら解決しない。」と伝え、その申し出を断りました。

 アラーダ仙人のもとを去ったシッダールタは次にウドラカ仙人を師として修行します。ウドラカ仙人が体得した境地は「無」をも超越した「三昧」の境地で、この境地も体得するには何十年もかかると言われていました。しかしシッダールタはこの境地にも瞬く間に到達し、この時にもウドラカ仙人に「一緒に弟子たちを統率していこう。」と言われましたが、シッダールタは「師の悟られた境地も所詮は自己満足で、人間の現実の苦悩を解決する法とはなり得ない。」と伝え、この申し出も断りました。当時一流の禅定家といわれた二人の仙人の元で修行したシッダールタでしたが、その境地に満足できず新たな修行の旅にでます。

 シッダールタは次の修行をインドの伝統的な苦行をすることに決め、王舎城の南西約七十キロの位置にあるウルビルバー地方を訪れます。そこにはセーナという村があり、その村を流れる尼連禅河のそばに大きな林があったのでシッダールタはこの林を苦行の地として選択しました。この林は苦行林であり数多くの修行者がそれぞれの苦行に励んでいました。シッダールタが苦行をしていると彼の周りに五人の修行者が集まってきました。シッダールタを合わせて六人のグループは、落ちこぼれが出ないようにお互いに励ましあうことを決め皆それぞれ修行に励みました。修行の最中、シッダールタの苦行があまりにも徹底していたため他の五人の修行者たちはシッダールタに先生になってみんなを引っ張って行ってほしいと言われますが、「苦行は自分でするより他ない。」と言いその進言を断りました。その後六人は数々の苦行に取り組み、苦行をした期間は六年に及んだと言われています。シッダールタはやがて苦行の中でも最も過酷と言われる断食行に入りました。その期間は二ヶ月間にもなり、他の五人も心配している中シッダールタは断食をやめることになります。シッダールタは「断食では悟りを開くことができないと悟った。」といい、また「苦行では悟りを開くことはできない。」とも五人に伝えました。五人はシッダールタが堕落したと思い苦行林を去って行きました。

 3 悟り

 苦行林を後にしたシッダールタは尼連禅河の対岸にあるブッタガヤーと呼ばれる土地に行き、一本の大きな菩提樹の下で悟りを得るまで絶対に座を立つまいと決め禅定に入りました。この禅定を邪魔しようと煩悩の化身であった魔神マーラが現れます。マーラはシッダールタのもとに三人の娘たちを送り込み心を乱そうとしますが誘惑に屈することはありませんでした。次にマーラは自分の手下たちに一斉に攻撃させますが、どんな攻撃を仕掛けたとしてもシッダールタに届くことはありせんでした。最後にマーラ自身が巨大な円盤を振りかざし向かって行きましたがこれも打ちはらい、ついにマーラを撃退します。

 次々と襲い掛かる悪魔をことごとく打ち破ったシッダールタの心は清らかに澄みきっていきました。シッダールタはその澄みきった心で深い深い瞑想にふけっていると、ついにシッダールタは悟りを開きました。シッダールタはブッダとなり、しばらくの間みずからが悟った心理を味わい楽しんでいました。

 やがてブッダが悟った法を人々に説くべきか秘すべきか悩んでいたとき、梵天という仏様に諭され、ブッダは「この法を全ての衆生に説いてゆこう。」と決意しました。

 4 布教の旅

 法を説くことを決意したブッダはまず誰に説くべきかを考えました。最初に浮かんだのはかつて師事した二仙人でしたが、この二人がすでにこの世を去ってしまったことを知ります。次に考えたのが苦行林で一緒に修行した五人の仲間たちで、その五人がガヤの町からハラナ国郊外のサールナートにいることを聞いたブッダはそこを目指して旅立ちました。五人と再会したブッダは悟りを開いたことを告げ、五人に向かって自ら悟った法を説き始めました。しかし、その悟りはあまりにも難しくそのままといても理解してもらえる法ではありませんでした。そこでブッダは悟りの法をそのまま説き示すことをやめ、かりの教えやたとえの話をもって説くことにしたところ、ついに五人は悟りを開くことができブッダの初めての弟子となりました。

 やがてブッダのもとには多くの弟子たちが誕生し、その数は六十人となり小さいけれども一つの教団を形成するに至りました。ハラナ国での布教の基盤ができてきたことで、ブッダは他の国にいき本格的に布教を開始することを決めます。弟子たちは皆ブッダについて行こうとしましたが、ブッダは「思い思いに布教の地を選び、必ず一人で旅立ちなさい。」といいました。なぜなら一人で旅立つことで、より多くの人々を救うことができると考えていたからです。弟子たちはそれぞれの布教の地へ散っていき、ブッダもまた一人、悟りの地ウルビルバーを目指して旅立ちました。

 こうして仏教の本格的な布教の幕が切って落とされたのでした。

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