第四回コラム「四十九日の法要について」

仏教においての四十九日の法事の考え方

 

  仏教では死後の世界をどのように考えているのでしょうか?故人が亡くなった日から数えて四十九日目に行う追善供養のことを四十九日法要といいます。今回はこの四十九日法要について説明していきたいと思います。

 1「死の世界」「死後の世界」について

 2 仏教における四十九日の詳細

 3「空」の考え方

 

 1「死の世界」「死後の世界」について

 仏教には「死の世界」と「死後の世界」とが明確に分けて考えられています。仏教では誕生の瞬間を「生有」、死の瞬間を「死有」、この二つの間を「本有」と言います。今現在私たちが生きているこの世界は「本有」を指していることになります。またこの「生有」「本有」「死有」は一つのくくりで過去、未来とずっと続けて行われています。このことを輪廻転生といい、死んだらまた次の世に生まれ変わらなければなりません。この「死有」から次の「生有」までの間を「中有」といい、この期間が「死の世界」で次に生まれ変わった世界が「死後の世界」になるのです。

 「死後の世界」は人間界も含め全部で6つあります。それが六道輪廻といい、この6つの世界のいずれかに生まれ変わらなければなりません。そしてどこに生まれる変わるかがこの「中有」の期間に決まるのです。

 この「中有」の四十九日間を死者が冥土を旅しながら生前の行いの裁きを受けその判決によってどの世界に行くか決まると言われています。

 2 仏教における四十九日の詳細

 ここからは仏教における死者がたどる四十九日の辿る道筋を見ていきます。

 まず、故人が亡くなるとたった一人で冥土へ旅立たちます。すると長い道が出現し、その道をずっと歩き、「死者の山」と呼ばれる山脈を目指すことになります。冥土への旅の間、死者は遺族が仏前に供えるお線香を食物にするので、四十九日の間はお線香を絶やしてはならないと言われているのです。

 死者は冥土の暗い道を歩き続け、裁判官を変え七日ごとに7回裁判を受けることになります。

 七日目   「秦広王」が亡者の殺生の罪について審問

 十四日目  「初江王」が盗みについて審問

 二十一日目 「宋帝王」が邪婬の罪について審問

 二十八日目 「五管王」が嘘をついたかを審問

 三十五日目 「閻魔王」が来世はどの六道になるかを決める

 四十二日目 「変成王」が「閻魔王」が決めた六道の中で、どんな場所で生まれるかを決める

 四十九日目 「泰山王」がどんな姿で生まれかを最終判決

 この四十九日間の中で7回の裁判を死者は受け、これからどの世界に行くかが決まります。

 残された遺族は死者が亡くなった日から七日ごとに追善の法要を営み、死者が生前にできなかった善行を積んで、少しでも死者の罪を軽くし裁判を有利にするよう応援するという意味合いがあると言われています。中でも来世に旅発つ前の四十九日は重要で、この際に少しでもいい世界に生まれ変われるようにと手厚く法要することが四十九日法要の最大の目的です。

 ここで具体的に遺族が行う追善供養は何をすればいいかというと、仏道修行(写経、聖地巡礼など)や布施行を行うことです。布施行とは自分の持っている大切なものを他人に施すことを言い、施す相手は僧侶でなくても構いません。例えば震災地でボランティアをすることや、ご老人に席をゆずることなど良い行いをすればいいのです。また、いつもにこやかな顔で他人に接すること(和源悦色施)や人に優しい言葉をかけるように心がける(言辞施)も布施となります。

 3 「空」の考え方

 これまで死後の世界について色々と話してきましたが、実は仏教の考えには天国も地獄もましてや仏の世界も存在しないのです。天国や地獄、仏の国は実は人の心にあるという考えを「空」といいます。

 四十九日の7回の裁判を信じた方が善行を積むことができるならそう考えればいいし、善行を積めば仏の国に行けると考えるのならばきっと行くことができるでしょう。また死の恐怖をやわらげ死別の悲しみを乗り越えるために仏の国へ行くと考えた方が安心して生きられるというのであればそう考えれば良いのです。

 冥土の旅も裁判も仏の国も全てが「空」であり、皆さんの心の持ちようなのですから。

宗派によって考え方は異なります

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